立地|[公式]レジデンシャル青葉広瀬川|青葉通徒歩9分、仙台市地下鉄東西線「大町西公園」駅徒歩9分、敷地面積9,400㎡超・全203邸の大規模レジデンス

立地 立地 外観完成予想CG
立地

青葉城址のほとり、
広瀬川に寄り添う、
こころ澄む都心へ。

photo 航空写真

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朝は鳥の声、せせらぎ、
樹々の葉音で目覚め、
夕はそよ風に癒される。
これほど澄みきった都心が、
他にあるだろうか。
五感が初めて出会う都心とでも
言い換えられるほど、
潤いに満ちた広瀬川フロント。
それは、都心にある、
都心から離れた感覚を呼び覚ます場所。

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HISTORY

政宗公が歌を詠み
野遊びを愉しんだ別邸
「花壇屋敷」に寄り添う土地。

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  • 青葉城址

    青葉城址車4分(約2,380m)
  • 航空写真

    航空写真
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計画地周辺は、
伊達家にゆかりある象徴的な地歴を誇る。
青葉城の御本丸に対して
別邸のように使われた
「花壇屋敷」が置かれた場所で、
政宗公が歌を詠み野遊びを
楽しんだ逸話が語り継がれている。
いわば戦国大名さえくつろがせた、
美しい場所だったのかもしれない。

仙台藩の重要な役割を担っていた、
「花壇屋敷」跡地に寄り添う。

「伊達政宗肖像」東福寺霊源院蔵

花壇という地名は、江戸時代以前より
使われていたもので、
同地にお花畑があったことから由来。
花のほか、ウドや筍、ビワ、梨、柿、栗などの
作物も作られていた。
伊達政宗公が藩主の時代には
「花壇御屋敷」が置かれ、
野遊びや和歌を詠むなど、
お気に入りの場所として本丸との間に
「花壇橋」まで架けられていた。
また、屋敷内には藩の鉄砲小屋などの諸施設も
設けられ、重要な役割を担っていた。
大正時代には、その気候と風土の良さから
早川農場・牧場に。
昭和11年から20年までは「仙台市動物園」が開園。
その後、広大な跡地は
東北地方「初」の公団住宅(本プロジェクト地)、
東北大学の運動場、
花壇自動車学校へと分割される。
「レジデンシャル青葉広瀬川」は、
この歴史の流れを汲むプロジェクトとして、
たくさんの想いを受け継いでいる。

HISTORICAL
TIMELINE

  • 「仙台青葉城(1900/明治33年)」 出典:国立国会図書館

  • 「早川農場・牧場(1915/大正4年)」 出典:仙台市歴史民俗資料館

  • 「仙台市動物園(1936/昭和11年)」 出典:仙台市戦災復興記念館

※出典「仙台市史」仙台市市民図書館 郷土資料コーナー

※掲載の外観完成予想CGは計画段階の図面を基に描いた完成予想図と周辺の環境写真(2021年7月撮影)をCG合成・加工したもので実際とは異なります。また、今後変更になる場合がございます。なお、外観の細部・設備機器・配管棟は省略又は簡略化しております。

※植栽は特定の季節の状況を表現したものではなく、竣工時には完成予想CG程度には成長しておりません。敷地周辺の電柱・標識・架線・ガードレール等は再現しておりません。タイルや各種部材につきましては、実物と質感・色等の見え方が異なる場合があります。

※掲載の航空写真は現地上空より撮影(2021年9月)したものにCG加工を施したもので実際とは多少異なります。現地の位置を表現した光は建物の規模や高さを示すものではありません。

※掲載の環境写真は2021年9月・11月に撮影したものです。